安倍晋三首相の退陣表明は、2度の長時間の病院治療を隠せなくなっていたことから、驚きはなかった。やっと終わるか、という思いの一方で、次期首相が菅儀偉官房長官となることが確実となっていることに暗たんとする。もっとも、自公政権のもとでは沖縄の困難が続くことは変わりないだろう。
在任史上最長の安倍首相は、2006年9月からの第1次安倍内閣の1年も合わせて8年8カ月余りの在任期間になる。沖縄にとっても悪夢の日々だった。その間、沖縄は安倍政権と戦い続けてきた(民主党政権時代も戦ってきたのだが)。この長い戦いを三つの視点から振り返ってみたい。
●歴史修正主義との闘い
第一は、歴史修正主義との闘いである。第1次安倍内閣は、教育基本法を改正して「愛国心」を明記させた。同時並行で教科書検定にも圧力をかけていた。ターゲットの一つが沖縄戦の「集団自決」だった。日本軍が住民に集団死を強いたのではなく、住民が自ら死を選んだという「殉国美談」に歴史を修正しようとしたのである。
16年秋、安倍首相側近が文科省に圧力をかけて「軍命により」という記述を削除させた。翌年3月、検定内容が公になると、沖縄では激しい抗議の声が起きた。17年9月29日には、11万人以上が集まる県民大会が開催された。その直前に安倍首相は退陣した。安倍周辺勢力によって大江健三郎氏の著作と岩波書店を相手取って起こされた「集団自決軍命訴訟」は最高裁まで争い、「軍命」自体の確認はできずとも、日本軍の関与の下で強制集団死が起きたとして判決が確定した。原告側弁護団には現自民党幹事長代行の稲田朋美氏も弁護士として加わっていた。
文科省は現在も軍命を削除させた検定意見の撤回は拒み続けている。沖縄の歴史修正主義との戦いは今も粘り強く続いている。この県民大会が、その後のオスプレイ配備強行反対、「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げ保革を超え新たな政治勢力となった、「オール沖縄」誕生につながったことも重要な点である。
●基地問題と選挙
第二は、基地問題である。ことに、普天間飛行場移設と辺野古新基地建設問題では、安倍政権は「辺野古が唯一の解決策」と繰り返して沖縄県との対話を拒み、工事を強行し続けている。法廷の場でも戦いが続く。
第三は選挙である。国政選挙、県知事選挙においては沖縄がほぼ圧勝し続けている。他県なら、選挙結果を受けて政府は強行を控えるはずだが、沖縄についてはそのような常識は通用しない。「沖縄差別政策」と言わざるを得ない。菅氏が陣頭指揮を執って「オール沖縄」つぶしを進めてきた。その効果が市町村長選挙で表れている。
長い戦いは人々を疲弊させる。諦め、迎合、服従が沖縄で広がりつつある。第2次安倍政権の生みの親であり、その屋台骨を支えてきた菅氏による政権となると、その戦いはさらに熾烈(しれつ)にならざるを得ない。沖縄の困難はさらに続くのだろうか。(ジャーナリスト 米倉外昭)
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