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    日本で最賃第1号の石碑/静岡県缶詰製造業/レリーフは問いかける

     日本初の最低賃金を記念する石碑が、静岡市清水区にあるフェルケール博物館の一隅に置かれている。最賃法制定から61年。労働者を貧困から守る制度になっているか――。石碑の銅製レリーフ「働く女子労働者の面影」(池上舜・1961年制作)はそう問いかけているようである。

     国内初というのは、静岡県缶詰協会が56年、会員業者間で調理工・中卒初任給の協定を結んだことに端を発する。低賃金による輸出攻勢への国際批判の回避や、公正競争確保などが目的だった。

     この実績を踏まえ、59年に制定された最賃法には、使用者が業種ごとに最賃を設定する「業者間協定」による決定方式が盛り込まれた。当時の労組全国組織、総評が「ニセ最賃」と反対した仕組みだった。

     法制定後第1号として認定された「静岡県缶詰製造業最低賃金」は日額200円。静岡県労働運動史(静岡県評)によると、当時の人事院が示す標準生計費7930円(東京・18歳独身男子)で、缶詰最賃の月額換算額5千円はこの6割という低さだった。

     缶詰食料品は当時、清水港からの輸出の稼ぎ頭だった。夏場はマグロ、冬場はミカンを製造した。近隣の他業種の工場より賃金は低く、新卒の就職は避けられがちだったという。甲信越、東北などから年約6千人が出稼ぎに来ていた。

     制定から61年。小さく生んだ制度は今、セーフティーネットとして十分機能しているだろうか。

     

    〈写真〉静岡県缶詰協会の石碑には「我々は労働者の労働条件を改善することが企業に発展をもたらすものであることを確信し」取り組んだ、と刻む(静岡市)