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    「祖父の被爆の記憶受け継ぐ」/高校生が訴え/広島の平和大使として決意

     原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の原水爆禁止世界大会・広島大会で、高校生が祖父から被爆体験を聞き、思いを語った。第22代高校生平和大使の牟田悠一郎さん(高校3年生)の発言を紹介する。

     

    ●微力だけど無力でない

     

     私は、以前から学校の平和学習などで戦争や原爆について学ぶ機会が多くありましたが、自分たちの生活から離れた、遠い話のように感じていました。そんな時、祖父が被爆者であることを知りました。

     祖父からは、曽祖父が原爆で体の半分に大やけどを負い、皮膚がどろどろに溶けた話を聞きました。幼かった祖父は曽祖父の傷口から湧くうじ虫を毎日取ったといいます。いつも明るい祖父からは想像もできない話ばかりで、戦争や原爆が急に怖くなったことを今でも覚えています。

     祖父は「被爆者であることを知られたくない」と話していました。当時を苦しそうに語る祖父は、今でもその記憶に苦しんでいるのだと思います。

     祖父は(高校生平和大使として)活動を続ける私を応援してくれています。私の活動が力になっているのか、分かりません。しかし、被爆者の平和への願いを受け継ぎ、伝えていきたいと強く思っています。二度と戦争によって、原爆によって、人々の命が失われることがないように。記憶や偏見に苦しむことがないように。微力だけど無力じゃない。これからも活動していきます。

     

    〈写真〉原爆ドームの前で話す高校生平和大使の牟田悠一郎さん(8月6日、オンライン)