6月23日、戦後75年の沖縄戦「慰霊の日」が終わった。例年は一般参加も含め約5千人が参列する糸満市摩文仁での沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」は、コロナ禍の中、今年は招待者のみの161人の参加だった。
今年は開催前に会場をめぐり一波乱があった。県が規模縮小に伴って従来の平和祈念公園の式典広場から同公園内の国立沖縄戦没者墓苑で開催すると発表したことに対し異論が出て、結局、例年と同じ会場に戻したのである。沖縄戦の慰霊・追悼の本質が、戦後75年の節目に熱く論じられる機会となった。
●「墓苑」会場に賛否
玉城デニー知事は5月15日、会場について「墓苑には遺骨が眠っており、戦没者により深く追悼の意を表すことができる」と述べた。新型コロナ感染予防のため参列者を16人程度に縮小し、県民には自宅などそれぞれの場所で追悼するよう呼び掛けた。
国立沖縄戦没者墓苑は1979年に創建され、約18万人の遺骨が納められている。糸満市米須の魂魄(こんぱく)の塔など民間の納骨所に納められていた遺骨について管理の問題などが指摘され、国立の墓苑を建設して遺骨を移した経緯がある。
琉球新報は5月22日付で〈慰霊の日追悼式 なぜ場所変更 国立戦没者墓苑に賛否〉という記事を掲載した。「殉国死の追認になる」と批判する研究者らが同26日に「沖縄全戦没者追悼式のあり方を考える県民の会」を発足させ、署名運動を開始した。
知事の反応は早く、3日後には元の会場に戻し、人数を200人程度とすると表明した。6月1日に同会が知事に面会した際には、知事は「勉強不足だった点がある」と述べた。
●平和の礎の思想
琉球新報と沖縄タイムスは文化面で識者の論考を連載。比屋根照夫琉球大名誉教授は、摩文仁の一帯には二つの顔があると指摘した。一つは、各県の慰霊塔などが並ぶ高台の「摩文仁の丘」にあるのは「国のために命を捨てる『殉国』の思想」。もう一つが式典広場から連なる「平和の礎」やその周辺一帯で、「国家や人種といったものを超えた、いわばヒューマニズム、人間主義がある」「沖縄戦で犠牲になった、たくさんの人々の声なき魂の叫びとも言えるものを感受できる場だ」と述べている(琉球新報6月4日付)。
会場をめぐる議論は、加害・被害、国籍を超えて死者の名を刻む「平和の礎(いしじ)」の意義を改めて確認する機会にもなった。
2回目となった玉城知事による平和宣言は、昨年の「辺野古移設断念を強く求め」という表現がなく、基地問題への言及が少なくなった。地元紙でも「後退した感」などと批判的に論評された。
一方で、広島・長崎両市長と、国連軍縮担当上級代表の中満泉事務次長のビデオメッセージが上映され、反核・軍縮も含めた世界平和を発信する場にした。平和宣言の内容とともに、追悼式のあり方の議論は尾を引きそうだ。(ジャーナリスト・米倉外昭)
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