首里城が炎上した。なぜ今、首里城が燃えるのか。焼けなければならないのか。昨年10月31日早朝、崩れ落ちる首里城正殿の中継映像にぼう然としながら、考えていた。
●現状への祖先の怒り?
祈りを忘れた沖縄に対する天の怒り、警鐘ではないかと考えた人たちがいる。「ウチナーンチュの身代わりになって御香(うこー)として燃えた」と言う人もいた。
火災の直前、10月13日の「那覇大綱挽(ひき)」で、全長200メートル、重さ40トンの大綱が切れるというアクシデントがあった。史上初だった。その前に8月4日の「与那原大綱曳(ひき)」でも綱が切れた。大綱が連続して切れたことを、何かの前触れと感じた人がいた。首里城火災に続いて、年明けには豚熱(豚コレラ)の災禍にも見舞われた。これからも何かが起こるのか。
祖先崇拝信仰が基底にある沖縄に長く暮らすうちに、このような現象や物言いを無視できなくなった。沖縄には、祖先ともつながる無意識の集合的意思がある。人々の言動、選挙やイベントなどを通じてしばしばそれを感じる。これが「沖縄アイデンティティー」の正体なのかもしれない。
沖縄の民意を無視した日米政府の基地押し付け政策に対する怒りが保革を超えた県民の共通認識となり、故翁長雄志氏が主導した「オール沖縄」が生まれ、沖縄の政治に新しい流れを作った。しかし、民意が踏みにじられ続けるうちに、国家権力に迎合する勢力がじわじわと力を盛り返し、県民の中で分断と対立が顕在化してきた。辺野古の海では無残な埋め立て工事が続く。
島や地域ごとに五つにも七つにも分類される沖縄の言語は消滅しつつある。伝統文化が消えていくことへの危機感は、これまで以上に強まっている。文化喪失の危機の一方で、国家権力に翻弄(ほんろう)され分断される今の沖縄への先祖たちの怒りが、大綱を切らせ、首里城に炎の龍を立ち昇らせたのではないか。そう考えた沖縄県民が少なからずいるのである。
●どのように再建するか
首里城焼失の損失は大きい。文化財も多数失われた。原因究明も道半ばだ。どのように再建、復興するのか議論が起きている。
そもそも、現在の首里城は日本政府のものである。敷地(城郭内)は米統治を経て日本に復帰する過程で日本政府のものになり、30年に及んだ復元事業も政府主導で進められた。今回も政府は再建予算を計上しており、現在県などに集まっている20億円を上回る寄付金も建物の再建には使われないという。それでいいのだろうか。
首里城は、王国時代の民衆にとっては収奪の象徴でもあり、国の安寧を願う祈りの場でもあった。日本に併合された後は日本軍の駐屯地とされ、さらに「首里神社」になり、沖縄戦では地下に日本軍の司令部壕が造られ、米軍の攻撃により破壊された。この負の歴史も含めて、今を生きる沖縄の民衆のための歴史と文化の象徴として、県民が主体となって再建する道を探るべきであろう。(ジャーナリスト 米倉外昭)
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