日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)などと加藤勝信厚生労働大臣との協議の場(12月18日)で、被爆者が原爆体験や思いを訴えた。
●原爆は追いかけてくる
広島で被爆した児玉三智子さん(当時7歳)は、被爆当日の体験を語った上で、「貧困や差別に苦しみながら、あの日亡くなった人に負い目を感じ、『生きていていいのだろうか』と思いが揺れる中、必死に生きてきた。その歳月は決して平たんなものではなかった。原爆被害はいつまでも追いかけてくる。この国で原爆の実態を知る省庁は厚労省だけだ。被爆者に残された時間は多くない。(来年の)被爆75年を迎える前に、被爆者の願いに応えてほしい」と訴えた。
●娘時代をまどうて
広島で被爆した金本弘さんは、今年6月に亡くなった姉(当時13歳)のことを語った。「左半身にケロイドを残して娘時代を過ごし、家族の反対を押し切って結婚、出産。就職差別を乗り越えて定年まで働いた。その後肝がんなどで入退院を繰り返した」
金本さんは、死期が近づく姉に「厚労大臣に伝えたいことはないか」と問うと、「今は幸せ。娘時代をまどうて(償って)ほしい」と話したという。「かけがえのない人生を奪い、取り返しがつかない原爆への強い怒り、恨みを感じる。被爆者が頼れる、信じることができる厚労省であってほしい」と述べた。
〈写真〉声を詰まらせながら、姉のことを話す金本さん(12月18日、厚労省)
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