旧民主党政権が導入した子ども手当について、安倍晋三首相は3月27日の参院予算委員会でこう述べた。
「あの頃、(政策を実施した民主党を)愚か者と考えていた人は多いのではないか。率直に言って私もその一人だ」
2月の自民党大会では、「悪夢のような民主党政権」とも発言。あの時代が、よほどトラウマになっているのだろうが、私たちこそ、長期化する安倍政権の〃悪夢〃の中にいる。
●育児は親の自己責任か
ともあれ、子ども手当を「愚か」という安倍首相は、その理屈を「(子ども手当は)ファミリーバリュー(家族観)を否定して全て社会化していく政策だった。財政破綻を招くだけでなく、子育てに対する考え方が基本的に違う」と述べた。
子ども手当は、財源や支給対象、コロコロ変わる制度内容など多くの問題があったのは確かだ。しかし、その最大の目的は、子ども一人一人の育ちを社会全体で応援することにあった。そうすることで子育ての経済的負担を軽くし、安心して出産・育児できる社会を目指したものだ。
安倍首相は「子どもを社会全体で育てる」という考え方が気にくわないのだ。家父長的家制度を至高のものと考え、社会で育てるなど〃愚か〃なことなのだ。子どもの貧困の解決は、政治の責任ではなく、親の自己責任で……となる。
そうだとすれば、彼がいくら児童虐待防止を言おうが、痛ましい児童虐待を防ぐことは不可能だろう。子どもたちを社会が育てることに反対するのであれば、子どもは親の所有物であり、社会が介入して虐待を止めることはできないのではないか。
●貧困な社会的支援
非正規雇用の広がりを止め、大きな所得格差を埋める手立てが機能していない中で、こうした安倍首相の主張を聞く時、僕は1人の若い女性を思い出す。2013年末に出版した自著「15歳からの労働組合入門」(毎日新聞社刊)で取り上げた女性だ。
シングルマザーの母と妹の3人暮らし。製造業務派遣で働いていた父が、リーマンショックで仕事を失い、養育費を払えなくなったことをきっかけに、高校時代にアルバイトを掛け持ちして大学進学の資金を貯め、進学後も三つのバイトをこなして卒業した。
高校時代から取材を続けた彼女が大学に合格した時、「よく頑張ったね」とほめると彼女は目に涙をためて言った。「東海林さんも学校の先生もほめてくれるけれど、大学へ行くためのアルバイトとか、勉強以外は頑張らなくてもよい社会であってほしかった」
自ら道を切り開いた彼女は、大好きな部活をやめ、多くの時間をアルバイトに費やした。その涙は、社会的な支援もない中で育つことを強いるこの国のあり方と、それを放置してきた大人たちへの抗議だった。
●財政破綻を招く?
子ども手当で「財政破綻を招く」とも言った安倍首相。しかし、当時の数字でも、子育て支援にかけている予算は、国内総生産(GDP)比で0・81%で、スウェーデンの3・21%やフランスの3%、ドイツの2・22%に比べて、とても小さい。これらの国は財政破綻していない。日本は一体、何に金を使っているのか、あらためて考えなければならない。
安倍首相は愛国心を強調するが、次代を担う子どもたちにまともに金をかけない国で、そもそも愛国心など育つのだろうか。統一地方選のさなか、あまり注目を集めることもなかった首相の発言だが、〃愚か者〃にならぬよう、投票の際には良く考えたい。
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