リーマンショック後の2008年末から翌年初めにかけて取り組まれた「年越し派遣村」。職を失って路上に放り出された労働者ら約550人が、東京の日比谷公園で命をつないだ。あれから10年。格差と貧困は改善されたのだろうか――そうした問題意識で2月16日、都内で反貧困ネットワーク全国集会が開かれた。
●状況はむしろ悪化
同集会実行委員会が主催した。当時、派遣村名誉村長を務めた宇都宮健児実行委員長は、幅広い労働組合や市民団体、弁護士・医師らの専門家集団が連携して運営し、失業者らの姿が大きく報道される中で「貧困問題を可視化できた」と指摘。その後、同様の取り組みが全国170カ所に広がり、政権交代の原動力の一つになったと述べた。
宇都宮氏は「格差と貧困を是正する社会をつくれると期待したが、残念ながら状況はむしろ悪化した。自己責任社会の状況は今も変えることができていない」と語った。
2012年12月には自民党が再び政権に就き、登録型派遣などを禁止するはずだった労働者派遣法改正案が骨抜きになり、生活保護基準は切り下げられた。
芸能人の母親が生活保護を受給していたことや、受給者(保護利用者)による飲酒、外食、パチンコ店通いに対し、「どこが貧困なのか」とバッシングが強まった。
●貧困が日常化した
生活保護問題に詳しい猪股正弁護士は「自己責任論は、派遣村で一時的に弱まった。困窮者の実態が伝わったからだと思う。しかし、今は当時よりも強まっていると感じる」。その理由についてこう述べた。
「この10年で非正規率が40%に達し、収入も貯蓄も減少した。生活が苦しくなるなか、自己責任で頑張っている人たちは多い。この人々は他人にも頑張りを求めがちで、頑張り切れない人たちが何らかの恩恵を受けるとバッシングしたくなるのではないか」
作家で活動家の雨宮処凛さんも自己責任論の強まりを指摘した。貧困を訴えた女子高生が千円のランチを食べたことが問題視された事例を紹介しながら、「本当に清く正しい貧困者なのか」という線引きが今も続いていると語った。「貧困が日常化して可視化しにくくなっている」とも述べた。
派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は「状況は当時と全く変わっていない。むしろ、派遣労働者は不安定なまま増やされた。今も多くの派遣労働者が簡単に雇い止めされている」と告発した。その上で「派遣は自分で選んだんでしょ」という自己責任論が依然として強いと訴えた。
〈写真〉「派遣村」について語る宇都宮弁護士(2月16日、都内)
〈写真〉派遣村開村式(2008年12月31日、東京都千代田区の日比谷公園)
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