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    〈働く・地方の現場から〉/「休む権利」の本音と建前/ジャーナリスト 東海林智

     「仕事できるやつならともかく、仕事できないやつが休みなんかねぇ……」

     新潟県内のある社長と働き方改革の話をしている時に、社長からこんな言葉が漏れた。長時間労働の削減を中心とした働き方の見直しに取り組む企業が増える中、経営者はこんな思いも抱いているようだ。

     

    ●意識改革だけでは無理

     

     この社長は食品関係の会社を経営している。最も力を入れたのは、月々の公休や有給休暇を取得できる体制を作ること。休みを完全に取れるようにして、労働時間を減らしていこうという考えだ。特定の部門に仕事が偏っていないか、過大な量の仕事が課せられていないか……などを精査、対応したという。改革には社長自ら先頭に立った。

     正直言って、ここまでやっているのかと驚いた。これまで働き方改革で県内の労使の話を取材してきたが、スローガン先行だと感じた。ブームに乗っているだけで「実」はないと見えるケースが多かった。労働時間削減の対策は「社員の意識を改革しダラダラ残業をさせない」「夜7時以降はオフィスにいられないようにする」など、結局は「精神論か」と思わざるを得ないケースが目立った。

     私も小さいながら、支局を運営し、通信部を入れれば10人近い人の働き方改革に日々取り組んでいる。その結果思うことは、当たり前のことだが、仕事量と人員の見直しに手を付けなければ労働時間は減らせないということだ。「意識改革だ、スピードだ」で労働時間が減るなら世話はない。もちろん、意識改革も必要ではある。私は「支局に長い時間いても、そのことを評価はしない」と明確に宣言した。そうすると、それまで「デスクが帰るまでは」などと支局に長く滞在していた記者たちは、県版の版が降りたら「お疲れーっす」と夜の街に消えて行くようになった。

     

    ●社長の努力は認めるが

     

     話をした社長は、仕事量の調整なども含め、本格的に労働時間削減に取り組んでいた。その狙いについて「ちゃんと休んで、ちゃんと働く会社だよというのを若者にアピールしないとこの先、人を確保できないから」と語る。来年の就活時期には「有休消化100%の会社」を売りにするもくろみだという。

     ここまでは良いのだ。だが、この社長が語るのが冒頭の言葉だ。「一生懸命やっているのだから(社長の)愚痴ぐらいいいじゃない」との意見もあるだろうし、分からないでもない。だが、この考えが行き着く所は「仕事ができないやつは休むな」「生産性が低いやつは長時間働いて穴を埋めろ」ではないのか。

     

    ●人間らしく働くために

     

     実際、働き方改革で休みは増えたのに、社員同士がぎくしゃくすると聞く。ある公務職場では「彼女は仕事も覚えていないのに生理休暇取るんだよ」「どんだけ休み取るんだか」などの会話が平気でされているという。仕事量の見直しもなく、休日だけ無理に増やすと、休日以外の仕事が過重になり、休んでいる者へ攻撃が向かうのだという。仕事ができる、できない(それも客観的な判断基準ではなく、イメージで語られる場面がほとんど)で、権利を行使できない場面も生じかねない雰囲気なのだ。

     安倍政権による「働き方改革」は、経済成長と生産性向上が目的であり、職場にさまざまなきしみやゆがみをもたらしている。今、あらためて「働き方改革は、労働者が人間らしく働くためのものだ」と声を大にする必要がある。奪われた私たちの時間を奪い返すためにも。