翁長雄志沖縄県知事がついに「撤回」に踏み切った。7月27日、記者会見で表明した。米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古の埋め立て「承認」を撤回するというのである。撤回をすれば承認の効力が失われるため、事業者=国(沖縄防衛局)は埋め立て工事を止めなければならない。
ただ、県は直ちに撤回するのではなく、事業者の言い分を聞く「聴聞」という手続きを行うことにした。〈聴聞の通知→聴聞→撤回通知→工事の中止〉、という流れだ。一部の護岸は既につながっており、沖縄防衛局は8月17日以後、土砂投入を開始すると県に通告している。今回の撤回表明は土砂投入前に工事を止めるぎりぎりのタイミングである。
●孤独な決断
なぜ、このタイミングになったのか。
これまで県庁内部や県の弁護団、行政法の研究者らのほぼ一致した見解として、撤回して裁判になっても勝てないという判断があったからだ。
一方で、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前や海上、土砂の搬出が行われている県内の港などで体を張って抗議をしている市民団体などからは、即時撤回を求める強い意見が出ていた。知事はあらゆる手段を行使して埋め立てを阻止すると公約し、任期中に繰り返し撤回を表明してきた。なかなか踏み切らない知事に対して、公然と疑念、批判もぶつけられていた。
状況を複雑にしてきたのは、11月18日に県知事選が迫る中で知事自身の重い病気が判明したこと。撤回表明しても裁判で勝てないとして、県民投票を主張する声も根強くあった。
県民投票の実施に向けて条例制定を求める署名は、法定の有権者の50分の1、約2万3千人を大きく上回る10万人超を集めた。これも知事の撤回表明を後押ししたといえる。
知事の記者会見の席には、知事直轄で基地問題を担当する知事公室長が横に座ったのみ。環境や土木を担当する幹部職員は同席せず、弁護団も後ろの列におり発言はなかった。県庁内における知事の四面楚歌状態を示していたと見ることもできる。一刻も早く工事を止めてほしいという県民の声と、消極的な庁内・弁護団との間で板挟みになった知事が、求心力を確保するために孤独な決断をしたのであろう。ただし2期目出馬については明言しなかった。
●絶望は許されない
翁長知事は1期目就任の翌年に承認の「取り消し」を行い、国と訴訟になった。今回も訴訟になるのは必至だが、敗訴確実論は疑問だ。公有水面埋め立て法は地域経済発展のための法律であって、外国軍の基地を造るための埋め立ては、法の趣旨に明らかに反するからだ。その点を前の訴訟では明確に主張していない。司法の場では法的な観点から撤回の理由をあらためて示すことになる。そこから本当の戦いが始まる。
1996年の普天間飛行場返還合意に始まる一連の問題は、最後のヤマ場を迎えている。根本問題は国土の0・6%の沖縄に約70%もの米軍専用施設を押しつけ続ける差別政策にある。その責任は日本国民全てに問われるべきだ。同じ27日に全国知事会が地位協定改定を全会一致で提言した意義は大きい。
28日、沖縄現代史研究の第一人者で住民運動や反基地運動の理論的支柱を担い、今年3月に82歳で死去した新崎盛暉氏をしのぶ会が開かれた。参加者は「沖縄は絶望することを許されない」という新崎氏の言葉をあらためてかみしめた。(ジャーナリスト 米倉外昭)
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