「600人が村に戻ったがほぼ全員が年寄り。これで生活していけるのか?」。こう憤るのは、福島県飯舘村で酪農業を営んでいた長谷川健一さん。3月9日に都内で開かれたシンポジウム(主催=環境NGOのFoE Japan)で飯舘村の現状を報告した。「(除染はおざなりにしておいて)〃復興拠点〃の箱ものには数十億円。狂ってますよ」
●村に溢れる汚染土袋
一部地域を除き全村避難指示が昨年3月、解除された福島県飯舘村。まもなく1年が経つが、帰還した住民は約1割。汚染土が詰め込まれた化学繊維の黒袋(フレコン)は村内いたるところに山積みにされたままだ。
住宅地など生活区域の除染は終わったことになっている。しかし「家の屋根なんかペーパータオルで拭いただけ。しかも山は対象外。そこから(放射性物質は)流れ込んでくる」と長谷川さん。村の面積の7割以上が山林。取れたキノコからは2万8千ベクレルが検出されたという。
「子どもたちを汚染された村で生活させるべきじゃない。私の子どもや孫も転居して、すでに飯舘村の住民じゃない。仕方がない」
●誰のための復興施設
一方で村には次々に真新しい建物ができあがる。4月から再開される学校(認定こども園と小中一貫校)は25億円。陸上競技場や野球場、屋内運動施設があるスポーツ公園には40億円がそれぞれ投じられたという。
「子どもたちを避難先からスクールバスで連れてくるというが…。年寄りばかりの村のスポーツ施設は、誰が使うんだ?」。
そんな中にあって長谷川さんは4月半ばに村に戻る。そばの栽培をする予定だ。試験栽培で検出された放射線は18・7ベクレル。国の基準値を下回っているが、買いたたかれた値段でしか売れないという。
「それでも荒廃する故郷を放っておけない。飯舘村から(現状の)発信もしていきたい。それが事故を風化させないことにつながると思う」
コメントをお書きください