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    〈原水禁・福島大会のフィールドワーク〉上/積み上げられる汚染土の行方/避難解除地の苦難

     村のいたる所に山積みされた化学繊維製の黒袋(フレキシブルコンテナ=フレコン)。1立法メートルの袋に詰め込まれているのは、除染で取り除かれた汚染土や草木などだ。飯舘村職員労組の荒真一郎委員長は「村内だけでフレコンは230万袋。国は5年で7割を中間貯蔵施設に運び出すと説明するが、5年後にも3割は残るということだ」と憤る。

     福島第1原発事故による避難指示の一部が今年3月末までに解除※された。全村避難となっていた飯舘村も帰還困難区域を除く全域が対象。村民帰還への取り組みが始まっている。

     こうした中、7月末の原水爆禁止世界大会・福島大会(原水禁国民会議など主催)は関連企画として、避難解除地域を訪問するフィールドワークを実施。飯舘村と川俣町を訪れた。

     

    ※避難指示は、2014年4月の田村市都路地区東部を皮切りに、これまで川内村東部や楢葉町、葛尾村(帰還困難区域除く)などで解除されてきた。しかし帰還率は田村市都路地区東部の7割を除き1~2割程度。今回一部が解除された浪江町と富岡町では1%台にとどまっている。

     

    ●住民の9割が不安

     

     川俣町山木屋地区は今年3月に避難解除された。地区にある汚染土壌の仮置場は43カ所にも上る。積み上げたフレコンの上に黒い遮水シートがかけられ、周囲はフェンスで囲われて立ち入り禁止となっていた。フェンスそばのモニタリングポスト(線量計)の値は、毎時0・127マイクロシーベルト。年間に直すと一般に許容される被ばく線量1ミリシーベルト以下ではあるのだが…。

     昨年暮れに町が山木屋地区の住民に行ったアンケートでは9割が仮置き場への不安を訴えていた。「景観が損なわれる」「田畑が仮置き場になっているので、営農が再開できない」といった声だ。

     町の原子力災害対策課に勤める、川俣町職員労組の大槻友徳書記長は「中間貯蔵施設への運び出しでフレコンは少しずつ減ってはいるが、まだ本格化していない」と現状を話す。

     中間貯蔵施設は福島第1原発の周辺に設置されるものだが、用地買収はまだ3分の1。フレコンの野積み状態が長期化するのは必至だ。実はフレコンの耐用年数は3~5年程度。大槻さんは古くなったものから新しい袋に詰め替える交換作業を順次行っているという。だが同町だけでフレコンは70万袋以上もある。

     「仮置き場ゼロになる日が来るのかどうか。町としてはそれを信じてやっていくしかない」と大槻さんは正面を見据えた。