5月15日、沖縄と日本にとって45回目となる「復帰の日」を迎えた。節目ではある。しかし、強い苦みを伴う節目だ。今年、「復帰」を報じる全国メディアが必ず「政府と沖縄県の対立はこれまでになく深まっている」という解説を付け加えたからだけではない。 まず、政府と県が対立するとはどういうことなのだろうか。政府と地方自治体が対立する場合、通常は行政間の調整や選挙で選ばれた政治家同士の対話によって解決を目指すだろう。それがうまくいかなければ、民意を問うという形で、その自治体の選挙で決着するはずである。
●現実は「沖縄いじめ」
ところが沖縄ではそうならない。何度選挙で結果を出そうが、それを無視して強権が発動され、国が恥ずかしげもなく県知事に対して裁判を起こす。全国から警察官を動員して住民の抗議を弾圧し、逮捕する。沖縄でだけこのようなことが許され、司法も容認し、日本国民多数も容認し、さらに沖縄ヘイト言説があふれる。これは「政府と沖縄県の対立」なのか。多数派国民による少数派へのいじめと言うべきだろう。
私が県民になってから31年。その中で最も冷めた記念日だと感じた。
45年たった今、沖縄として「日本復帰」をどう見るのかということを象徴するのが、琉球新報の年間企画「沖縄戦後新聞」最終号だ(琉球新報は「本土復帰」ではなく「日本復帰」としている)。1972年5月15日付を再現する企画である。1面の見出しは〈沖縄、日本に復帰/米統治に幕/那覇と東京 同時式典〉〈日米、基地自由使用合意/雨の中、1万人抗議集会/屋良知事「利用されぬ沖縄を」〉。さらに〈有事に核持ち込み/日米が密約、費用負担も〉という見出しも。沖縄の人々の希望を裏切った日米両政府による茶番が「復帰」の本質だった。
●日本への再併合か
それでも、今年の県民世論調査では「復帰してよかった」が7割を超えた。曖昧な国際法上の地位のまま米軍統治が続くより、日本に帰属して一定の経済発展をした今の方がましであることは確かだろう。しかし、基地の重圧の下で人権も経済発展も制約されている現状への不満、不安は、沖縄県民の中の「マグマ」の温度を上げ続けている。
そもそも「復帰」という言葉をいつまで使い続けるべきだろうか。「復帰」とは元々いたところに戻るという意味だ。元いたところは皇国・大日本帝国だ。「復帰」した先は、沖縄には適用されない平和憲法を掲げた米国の属国・日本だった。1879年の「琉球処分」が「琉球併合」と言い換えられつつあるのと同様に、1972年の「本土復帰」「日本復帰」「沖縄返還」を「日本再併合」と言い換えるべきだという議論が今後、説得力を増すに違いない。共謀罪までも強行してしまう日本で沖縄の未来はあるのか。「復帰」を超える新たな道を模索するのは必然ではないだろうか。
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