「綺麗にいろどられた商店街には『憲法公布記念うどん、そば』としゃれ込む飲食店もあり大繁盛」(北海道新聞)、「県都福島では…全市は祝賀一色に塗りつぶされた」(福島民友新聞)、「変わった方面では特赦の声も明るい甲府刑務所での記念運動会と演芸会」(山梨日日新聞)――いずれも、1946年11月4日付の新聞記事である。日本国憲法が公布された同月3日の街の様子と、それを生き生きと伝える記者たちの熱意が伝わってくる。
これらは『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた! ―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―』(岩田行雄編・著、自費出版、2014年補訂第2版)で紹介されているものだ。
●全地方紙を調査
編著者の岩田さん(74)は16~18世紀ロシア書籍文化史の研究者。洋書店ナウカを55歳で退職した後、2004年から本格的な憲法研究を行っている。「徹底して原資料に当たる調査方法」で憲法の成立過程を調べてきた。その中で注目したのが地方紙だ。先人たちが憲法をどう受け止めたのかを知る一級の資料だと確信。国立国会図書館に所蔵されていない地方紙については、各地の県立図書館などに足を運び、マイクロフィルムを読み込んだ。当時存在した全紙を調べ、著書で61紙の記事と広告を取り上げている。
「憲法祝賀行事などを伝える記事を見つけた時には『やった!』と思いましたね。中央紙やその社説だけでは街の情景や人々の息吹は分からない。記念運動会や野球大会までやっていて、もうお祭り騒ぎです。憲法は米国に押し付けられたなどと言う人たちがいますが、とんでもない。人々は戦争から解放されてこの憲法を歓迎している。押し付けなんてうそですよ」
岩田さんはこう語り、記事を書いた記者たちにも思いを寄せる。戦時中、新聞が戦争遂行に協力してきたのは紛れもない事実。そんな中で自らの意思に反して筆を折らざるを得なかった記者たちもいたのではないか、と推測する。「言論の自由が戻り、そんな記者たちが思いを書き始めました。平和国家・文化国家・民主国家、そして祖国の復興を目指すんだという論調は中央紙より地方紙の方が早く、また強かった」と断言する。
●キャバレーも祝賀広告
岩田さんが絶賛する熊本日日新聞の記事(46年11月3日)には「鳴る・民主日本の暁鐘」のタイトルが付けられ、新憲法が戦争の永久放棄と人権尊重、自由、平等を認めていることを「一大快事」と指摘した上で、「民主日本夜明けの鐘は、けさ八千万国民の頭上に大音響をあげて打ち鳴らされた。世界に呼びかける平和日本の門出の鐘でもある」と結んでいる。
新聞に載せられた祝賀広告の量もすごい。同書は、公布と施行記念の広告として約1万2千件、約1万人の人名が確認できるという。大企業をはじめ、キャバレーや露天商などさまざまな職業の団体や個人が出している。出色は秋田魁新報(46年11月4日)3面に載せられた居酒屋の広告で、「祝新憲法発布 民酒主義・左党本部 川反 佐の佐」とあった。
安倍政権による改憲の動きが強まっていることについては、「一度改悪されたら、後で百倍頑張っても元の平和憲法に戻すことは困難です。思想信条を問わず、私の本で先人たちが新憲法を歓迎した事実と当時の息吹は知っておいてほしい」と語っている。
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