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    インタビュー/〈自民党改憲草案〉(8)/権利が奪われてからでは遅い/あすわか共同代表 黒澤いつきさん

     自民党改憲草案は国民の持つ基本的人権を軽視しているといわれる。どこがどう問題なのか、「明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)」の共同代表、黒澤いつきさんに聞いた。

     ――基本的人権とはどんなものですか?

     端的に表している条文は「全て国民は個人として尊重される」と定めた13条です。かけがえのない一個人として生きるために、憲法には表現の自由、信仰の自由、職業選択の自由などが定められています。これは日本国憲法の究極の理念です。

     近代憲法ができる以前は、一人一人の命や人格は平等ではありませんでした。貴族や宗教者など支配階級が人々の権利を制限していたのです。「大切にされる命」と「ないがしろに扱っていい命」が区別されていたのです。戦前の日本でも同じでした。

     人種や性別、階級によって人の命に優劣をつけてはならず、どんな人でも生まれつき平等に扱われる権利が保障されていなければならない。そのために基本的人権が必要なのです。

     ――自民党改憲草案の13条では国民の権利を制限できる理由が「公共の福祉」から、「公益及び公の秩序」に変えられています

     「公共の福祉」とは、個人同士の基本的人権をお互いに尊重するための権利と権利のすり合わせのことです。例えば私たちには「営業の自由」がありますが、食品衛生についての知識も技術もまったくない人でも自由に飲食店を開業していい、となると、衛生が保てず、お店で飲食した人たちの健康が害される可能性が高い。いくら営業の自由という人権があるからといって、他人の健康を害していいことにはなりません。そこで、営業の自由に少し制約をかけて、食品衛生の知識がある人をお店においたり、条例の基準に合致した施設に整えた人に飲食店営業を許可する、という制度にしました。人権と人権をうまく調整しているわけです。

     「公共の福祉」は、あくまで「人権より大切なものはない」という価値観を前提にした、個人の権利を最大限保障するための論理ですが、「公益及び公の秩序」は違います。明確に、人権よりも秩序や公益が優位する、という価値観に立っています。「公の秩序に反している状態」とは何か、非常に曖昧なのが問題です。そのため、警察が市民の行動を指して「これは公の秩序に反している」といえば、事後的にそういうことになってしまいます。原発再稼働や自衛隊派遣など国が推進する政策に異を唱えるデモや集会も、「公益に反している」として規制対象にされることも十分に考えられます。

     ――尊重されるべき対象を「個人」から「人」に変えていますが、これはどういう意味ですか?

     「個人」が「人」へと置き換えられたのは、ささいな違いに見えるかもしれませんが、非常に深刻な変更です。「国民一人一人がその人らしい生き方ができる」かどうかはどうでもよく、「代わりはいくらでもいる」という考え方が表れているからです。

     先人の努力によって確立された近代的な思想からかけ離れた発想であり、かけがえのない「個人」として命を大切にするとした現行憲法の理念を軽んじるものです。

     ――自民党の国会議員には「権利には義務が伴う」と言っている人もいますが?

     それは間違い。主にお互いの利害調整のためにある民法上の権利と、生まれながらに人が持つ基本的人権を混同しています。基本的人権に義務が伴うことはありません。

     実際、自民党のある議員に「なぜ義務が伴うのですか」と聞いてみたことがありますが、その理由について具体的な説明はできませんでした。要するに、うそも100回言えば本当になるという考えなのでしょう。

     自由や権利は、今の日本では空気や水のように当たり前のものとなっています。その意味の大切さに気付くのは、それが奪われた時です。そうなってしまった時にはもう遅い。私たちは想像力を働かせて、かけがえのない存在として自分らしく生きる権利を守らなければなりません。